【おすすめ本】走ることについて語るときに僕の語ること-村上春樹

走ることについて語るときに僕の語ること

もしあなたが、ランニングに1ミリでも興味があるなら村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」を読まれてみてはいかがでしょうか。

この本はエッセイのような哲学書のような内容で非常に面白いです。

そこには走る人が漠然と感じている(言語化できていない感情)共感があり、走ることの苦しさ辛さ、その先に待ち構える喜びが文章から滲み出ているからです。

海外と日本のデュアルライフの中で走ること

僕がこの本が好きなもう一つのポイントは、執筆活動とマラソンを交互に行き来する村上春樹のライフスタイルにあります。

生活拠点もハワイ、ギリシャ、ボストン、ニューヨーク、日本───と目まぐるしく場所を変えながら、その土地での生活を紹介してくれています。

  • 「アテネの夏って走るとヤバいんだな」
  • 「ハワイで1年生活したらこんな景色に出会えるのか」
  • 「海外アパートでずっと工事してるのは結構ストレスかかりそう…」

など読んでいて海外移住への妄想が膨らみます。
海外生活の素敵な面だけでなく、苦労する面も感じられるのが、リアルで引き込まれます。

なぜ走るのか?内省から生まれる村上春樹の哲学思考

人間、歳を取ると若い時のような走りができなくなり、マラソンでもタイムが出せなくなります。
そればかりではなく、途中で走れなくなったりと肉体的な衰えというのは出てきます。

その抗いようのない事実を前に諦めることなく、ある種の自分自身への納得感や成長を追いもとめて、仕事の合間を縫ってトレーニングされているエピソードに刺激を受けました。
展開として、挫折・苦悩→努力→試合→勝利というドラマチックなストーリー展開にも惹きつけられます。

42.195kmという距離を走る行為はどう考えても辛いものです。

毎年、マラソンに参加するのは、走ることを通じて得られる経験、教訓、達成感、もっと言えば死ぬまで歩かず走り続けてるという意志の強さを感じます。
仕事を含め人生のあらゆる活動において走るという行為から学べるエッセンスが少なくはないです。

「No Run, No Life」

僕がこの本を読んで感じたのはまさにこれです。
年齢を重ねながも、まだ見たことがない景色を追い求めて走り続ける───。
こういう気持ちをいつまでも持ち続けられる人は強いと思います。

走る目的や理由は年代によって変わってくるかもしれません。
長いランニング人生において、走ることが辛くなるときがくるかもしれません。
その時、この本をまた読み返すことで、「よしもう一回、諦めず走ってみよう!」と思えそうなパワーがあります。

ぜひ興味のある方は本書を手にとって読んでみてください。


走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

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